図師 修 プロフィール
もりの治療院院長
一般社団法人 日本変身ビューティ協会 代表理事
意識医学Ⓡ認定機構 代表
ゆめうさぎ出版 オーナー
1967年鹿児島県国分市に生まれる。
鹿児島高等専門学校在学中、夜な夜な先輩方のマッサージをさせられていたが不思議と嫌ではなく、“治すこと”に興味が湧く。
卒業後、半導体関連会社に就職。当時はまだ専門技術者が少なく、とても重宝されていた。
在職中に“デザイン修行”の名目で一年ほど休暇を取り世界中を回る。その実、学んでいたのは東洋医学を初めとした施術の道であった。
29歳で結婚。が、転職していた当時の勤務先が倒産。
これを機に念願であった施術の道を究めるべく、往復2時間をかけて鹿児島市の鍼灸学校へ。
3年後国家資格を取得、整形外科や整骨院、施術院に勤務しつつ臨床技術を磨く。
施術の現場を見続けるうち、保険診療の限界を感じ開業を決意。
平成20年「百利音(もりの)施術院」を開業する。
約8割が女性のお客様。そこではボキボキと痛い施術ではなく、寝入ってしまうほどの心地よい施術がなされ、今ではマッサージを本業とする方も。一人一人の状態に合わせたオーダーメイドの丁寧な施術。その積み重ねで得た技術と信頼のなせる業である。
「治す」を学ぶためならどこへでも。インドやヨーロッパでアロママッサージ、中国で鍼灸の古典、アロマオイル、リンパドレナージュ、気功や太極拳に至るまで、ありとあらゆるセミナー、学会、書物、師から学び寝食を惜しんで研鑽に励んできた。
延べ7万人以上を施術し続けて知識や技術だけでは治せないものがあると感じ、さらに意識やエネルギーの世界にまで学びを深める。
2015年、これまでの学びすべてを体系づけた「変身ビューティ協会」を立ち上げ、心と体と魂、すべては一つであるという”意識医学“を提唱。そこで伝えるのは五感全てを使った、お客様本人の『治る力』を”楽しく“引き出す施術法である。
いずれは「意識療法士Ⓡ」を国家資格にしたいという夢が。より多くの女性を笑顔にすることで、世界を変えることができると思っている。
二人の娘のことになると、途端に心配性になる。
電話ではいつも女性と間違えられるほど柔らかな声と語り口。
プロフィール取材作成 細田かおり
ここから下は、わたしが作成したものです
霧島市国分にある「もりの治療院」の院長です
名前は、図師 修です
私は、施術の時は、まず、お客様に、その日の痛いところや、気になるところを十分にお話を伺い、頭の方に座って、首のあたりから施術を始めます。
お客様は、だいたいしばらくすると眠ってしまうようです。
寝息をたてられる方も少なくありません。
私はだいたい目をつぶって施術をしますが、
たまに、さかさまから見たお客様の顔が、目をつぶってニッコリとしておられるのを見ると私まで幸せな気持ちになります。
それは、私が施術の仕事が、いつかは出来たらいいな!と思い始めたばかりの頃の思いと変わらない気がします。
私は1967年12月21日に、鹿児島県国分市に生まれました。
血液型はO型です。
父は、自衛官で、小さい頃は、国分自衛隊のそばの松木住宅という小さなおんぼろ長屋のような住宅に住んでいました。
母は、日本舞踊の師範で、今でも、隣の実家でたくさんの生徒に日本舞踊を教えています。
私が卒業した鹿児島高専は、全寮制で、上下関係が厳しく、体育会系の特に空手部だった私は、夜な夜な先輩に呼び出されては、マッサージをさせられたものでした。
でも、いやいやさせられた気はせずに、いつか、そんな仕事がしたいと漠然と思うようになっていました。
工学系の学校を卒業してからも、コンピューターを使っての設計や開発の仕事を続けながらも、「人を癒す」仕事がしたいという思いは高まっていきました。
お金を貯めて、勤めていた会社の倒産をきっかけに、鍼灸学校に入るための受験勉強を含めると、4年かけて鹿児島鍼灸専門学校を卒業して、鍼灸師の国家資格を取りました。
整形外科のリハビリ科や、整骨院、施術院と勤めながら、臨床技術の研鑽に努めました。
ヨーロッパやインドで、アロマオイルを使ったリンパマッサージを学びました。
中国に、鍼灸の古典技術を学びにもいきました。
平成20年7月10日に、もりの治療院(百利音治療院)を開業しました。
私は長い時間をかけて、時には歯を食いしばって、学び、施術の為の「技術や知識」を積み重ねてきました。
でも、施術技術や医学知識だけでは、一時的に症状を取ることはできても、人の持つすごい力は引き出せないようです。
今、わたしは、今まで積み重ねてきた「技術や知識」をもって、一人ひとりに合せたオリジリティーあふれる鍼灸・整体・リンパマッサージ・エネルギー療法などの総合施術でお客様によりそう施術をさせていただいています。